臆病者の本心はいずこに

エッセイ

子供の頃は本当に臆病だった。あらゆるものが怖かった。寝る前には地震、火事、隕石、幽霊…あらゆるものが寝ている間に自分を殺さないようにお祈りをしてから寝ていた。(寝ること自体が怖かったから、いつも寝つきが悪かった)

 

そんな自分が学校に入ると恐怖の対象は人に向いた、自分が視られている、おかしなことをして恥をかいたらどうしよう。授業中におならが出たらどうしよう。そう思えば思うほど腸は活性化しお腹の不調と戦っていた(心因性の過敏性腸症候群ですね)

 

ただおそろしく、その気まずさに堪える事が出来ず、既に道化の上手になっていました。つまり、自分は、いつのまにやら、一言も本当の事を言わない子になっていたのです。

『人間失格』太宰治

 

そのうち周りの価値観で生きる、人に褒められる、人におかしいと思われない、でも除け者にされないようにおどけてみせる。道化になっていました

 

それから何年もかけて心と行動がバラバラに切り離されていきました

 

就職して社会に出ることはそれはとてつもない恐怖でした。今まで空気だけを読んで生きてきた道化が自分で考えて行動しろと迫られるのです

 

もちろん、うまく行くはずもなく、心が崩れて半年で引きこもりになりました

 

そこからも紆余曲折あったのですが……

それからです。大学を卒業し、会社からリタイアして、自分の価値観なんて高尚なもの以前の、感情や生理的な欲求に気づけるようになったのは

 

ひとりでいるのがこわくなるようなたくさんの友達よりも、ひとりでいてもこわくないと思わせてくれる何かと出会うことのほうが、うんと大事な気が、今になってするんだよね

『対岸の彼女』角田光代

 

自分の感情や欲求を抑え込み社会の要請に従うと葛藤つまりストレスが生じる

そんなことを繰り返してると心はキリキリと締め上げられていく

 

今の社会は生まれて数年で多数の目にさらされて、その中で自我を形成する。そんな中で自分の感情の動きや欲求に素直に気づける臆病者はいるのだろうか

 

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