ともすると、人は真実から目を背けた物語に閉ざされてしまう
というのも、人間は感情に支えられた動機や欲求に突き動かされる生き物だからである
それゆえ、ときにプライドや栄光を守るために、ときに理不尽から身を守るために、自らに都合のよい物語に囚われてしまう
あるいは、自ら目をつむり、その物語の中へ閉じこもってしまう
果ては、現実さえも自分(達)の物語に合わせて書き換えてしまうことがある
しかし悲劇的にも、そういった物語は決して自分に優しく機能するとは限らない
なぜなら、人は真実がどうであるかよりも、たとえ苦難に満ちたものであっても、信じてきたことを重んじてしまうからだ
そんな中では、〈社会の物語に埋め込まれた自分〉と〈文脈に依らず性質を発露したい自分〉に分たれ葛藤が生じる
しかし、何かのショックが人を現実に目覚めることもある
今、うねりをあげ脈動している現実に手を伸ばす機会は常に潜んでいる
確かに、閉ざされた円の中に安住していれば痛みを味わうこともない、外に出ることは地底から地上の陽を浴びるが如く痛みが伴う
しかし、地底に住むことを選ぶことは同時に”光”からの隔絶を選ぶことでもある
光を浴びて生きることはときに眩しく目を開けることがつらいと感じるときもあると思う
閉ざされた部屋でつまらないことを反芻してるのは苦しいものだ
八月の光は強烈だけれども、ちゃんと外に出て歩いてみよう

