少し前に読んだ本ですが、自閉症の理解に非常に有用なのでメモと当事者的感想を
本作は自閉スペクトラム症者の感覚に焦点を当て研究から仮説を立て、実際の自閉者の感覚を想像したり、当事者のアート作品と照合することで、感覚を共有可能な文章として説明してくれています
自閉症の感覚の問題
自閉症において感覚過敏や感覚鈍麻など感覚の問題が注目されていて、ASD者の9割を超える人が感覚過敏や感覚鈍麻を訴えている
9割という数字はなかなかですが、自分も聴覚過敏や細かいことがかなり気になるタイプなので、この問題が自閉者に普遍的であるというのは頷けますね。むしろ最も悩まされている部分かもしれません
細部を優先的にみる
自閉者は「弱い中枢性統合理論(WCC)」といって細部に注目して全体が見れなかったり(「木を見て森を見ず」の状態)もしくは「知覚機能亢進仮説(EPF)」といって細部に優先的に注目してしまう(指示があれば全体にも注意を向けられる)特性を持つ可能性がある
つまり自閉者は細かいことに気になりやすいと言いますが、高い解像度で世界を見るやすい傾向にあり、一方で定型発達者は低い解像度でなんとなく全体を捉えるように世界を見ている可能性があるということですね
当事者感覚としては、本を読んでても絵を描いていても調べ物をしていても、とにかく細部にどんどん潜り込んで、いつまでたっても全体像は見えてこず、作品は完成しない
むしろどんどん深く深く小さな穴の中に潜り込んで、そこからさらに気になるところに引っかかって潜り込んで、を繰り返している感があります
また、昔から球技をやっていたのですが、球技というのは必ずマルチタスクが伴います。その際に自分は一つの動作を完璧にしてから、もう一つの動作を重ねて加えていくという作業を相当やり込まないと対応できませんでした
多かれ少なかれスポーツをやっている人にはこのようなことがあると思うのですが、自分の場合はこのパターン化を完璧にしてない限り体が動かない(後述のフリージングにも関係するのですが)パターン化していないことには全く反応できないという状態が常でした
空間の捉え方
また自閉者は空間の捉え方として、自分と対象物の距離感を測る「エゴセントリック座標」と、自分以外の対象物間の距離感を測る「アロセントリック座標」という2つの捉え方において、アロセントリック座標の利用が苦手な傾向がある
つまり、例えば真っ直ぐ線を引いたり、的に向かってボールを投げるのが苦手である
これを読んだとき最初は感覚すらあまりわかりませんでした。
少し自省してみたのですが、自分は極度に緊張した世界で生きていたので、そもそもエゴセントリック視点を幼い頃に社会的に封殺されて、いわゆる擬態でやり過ごしてきたので、常に他者のことを考えて生きろ(アロセントリック視点で生きろ)と矯正されて、離人感がひどかったため、これらの視点に関する感覚が想像できなかったように思います
そして、最近は治療を通して自らの特性に対する需要ができてきたので、いい意味で自閉性を取り戻すとともにエゴセントリック視点の感覚がわかってきた気がします
ダンの感覚処理モデル
①刺激に対する閾には程度がある
弱い刺激であっても強く感じる人「閾値が低い(つまり、感度が高い)」、逆に、強い刺激であっても弱く感じる人「閾値が高い(つまり、感度が低い)」がいる
感覚鈍麻は閾が高いため強い刺激に対しても強い知覚を経験しない
②刺激に対する神経系の調節や反応の仕方にも個人差がある
感覚探求は、刺数に対する感度が低く、一定の刺激を受容することで神経の反応を安定化させるための自己調節のために、飛び跳ねたり、何かをつぶやいたりする
感覚回避は、刺識になする感度が高い、過剰な神経の反応を抑制するための自己調節として、その場から離れたりする
「自閉症の脳を読み解く」では、グランディン先生は自閉症当事者であるカーリー・フライシュマンの話を参考に以下のような仮説を打ち出しています
おしゃべりを続けるのが絶望的になったこの時点で、二つの行動のうちの一つをとるとカーリーは言う。心を閉ざして反応を示さなくなるか、癇癪を起こすかだ。…(中略)… カーリーが心を閉ざしてしまったら――私が目の前に座って話しかけているのに、うわの空のように見えるなら――反応不足と分類するだろう。ところが、癇釈を起こしたなら――カーリーが言うように、これといった理由もなく笑いだしたり、泣き だしたり、怒りだしたりして、悲鳴まであげるなら――反応過剰と分類するだろう。 二つの異なる行動、感覚処理の二つの異なるサブタイプ――少なくともカーリーと向かい合わせに座って、外から眺めていたら、そんなふうに見えるだろう。ところが、自分がカーリーで、心の声を聞いていたら、二つの反応の原因は同じと考える。感覚刺激の過剰。情報過多だ。
Grandin, Temple. (2013). The autistic brain : thinking across the spectrum. Boston :Houghton Mifflin Harcourt,(テンプル・グランディン, 中尾ゆかり(訳)(2014).
自閉症の脳を読み解く : どのように考え、感じているのか 東京 : NHK出版)
感覚過敏の中でも人によって反応が異なる(例えば圧倒されて黙り込む、例えば耐えきれず癇癪を起こす)という旨でした。
ダン先生は感覚過敏と感覚回避を分けておりますが、いずれにせよ、刺激への感度だけではなく、それに対する反応が人や状況によって異なるようです。そのため傍目から見るとどのような内面状況におちい言ってるのか判断が難しいのですね
感覚の違い
自閉者は常に大量感覚刺激が流れ込んできていて、無関係な情報を自動的に抑制することが苦手。その対象は五感だけにとどまらない。
・身体の状態に関係する感覚(身体の傾きやスピードの感覚)
・固有感覚(筋肉の中の器官により捉えられる、力の入れ具合や外からかかる力、体の動きや手足の感覚)
・内受容感覚(内臓や胃腸の状態)
また、刺激に対して強い感覚を感じるだけでなく嫌悪感や不安感をもったりそのような情動にともなって発汗や心拍数の上昇が生じ、それを回避しようとすることも特徴
自分の場合、常に「無量空処」や「月読」をくらってる感はありますね。思考にとどまらない情動やイメージを伴うリアリティのある反芻がとめどなく流れこんできて渦巻いている、と言った感じでしょうか
また、不安に伴う腹にくるような内受容感覚で心がへし折れることもしばしばなのでこの辺の「トータルな感覚弱者感」は大いに当事者として共感です
フリージング反応、不安障害、強迫性障害
普通人間を含めた動物は危険が迫った時に緊張状態になり「闘争か逃走か(Fight or Fight)」つまり戦うか逃げるかの反応を示す。
しかしこれらの反応の他に「フリージング」という反応がみられることもある。恐怖に晒された時に行動することで良い結果が起きないだろうと経験的に学んでしまっていると体が動かなくなる
ASD者が高い割合で不安障害や強迫性障害を併発すること明らかにされている。約20~40%の不安障害との併発率と考えられます
幼少期は闘争逃走が多かったですが、社会的に去勢されてからは人目に晒される場面ではフリージングしてましたね。通院治療をしてからは闘争逃走感覚が戻ってきました
また自分もバリバリ不安障害と一部強迫観念があるのでこの辺りは納得
自閉症は社交的ではないのか問題
自閉者はよく社交に対して鈍感だと思われているが、むしろ情報刺激に圧倒されるなどのせいで社交の場で失敗を繰り返して不安になっている結果、そのように見えている可能性がある。また、その不安を抑えるために強迫的になっている可能性もある
この辺りは「自閉症の脳を読み解く」や「ニューロダイバーシティの教科書」とも一致していますね。自分も刺激に圧倒されてうまく対応できない、うまくいかなくて怒られて社交が怖くなったタイプなので、元来的には話好きで、人への興味はあるので。この考えには賛成です
例えば、ASD者が図形の細部の処理を優先し、全体のまとまりを捉えることには苦手、もしくは全体にはあまり注意を向けていない。一方で、定型発達者では全体を優先することで処理の効率化を図っているものの、細部の情報を見落としやすい。ASD者の特徴は障害と言えるのか
これもニューロダイバーシティ問題ですよね。障害ではなく特徴と言い換えた方が適切かもしれません
結論
最終章では
ASD者全員が共通してもつ特徴があると仮定するのには無理があるのではないかというわけです。このような観点の変化も踏まえ、今後またASDの診断基準も変化していくものと思われます。これまでひとくくりにされていた当事者のグループが、その個々の当事者像を詳細に記述する形で細分化されていくことがあるのではないかと著者は考えています。
p171
また、
多数派の感覚特性に合わせて設計された社会環境が、ASD者も含んだ社会環境に再設計されることが期待されます。
p175
といったことを述べています
この辺は発達障害を語る他の文献と共通の結論ですね。やはり、症状の個人差や多様性が大きい問題への対応と、自閉者に合わせた社会の設計を見直しは必須だと改めて思いました