バレありです
中盤までは原作にかなり忠実だな、と思いました。
が、中盤以降は、小説では悦子=佐知子なんだろうなあ。程度であったのが、映画ではメインの謎解きに据えられていて。読後(鑑賞後)感が大きく異なると思います。
原作はカズオ・イシグロといえば「信頼できない語り手」といわれるように、記憶のあいまいさ、主観の危うさ、が作品全体を覆っているのですが、映画版では娘(ニキ)視点を使うことであいまいさは「解決」されスッキリした最後を迎えます。
よく知られた名作の映画化がうまくいかないときの理由の九八%は、映画製作者が原作に忠実すぎることです。^1
とあるようにカズオ・イシグロ本人も映画と原作は違ってしかるべきとおっしゃっています。
このように、映画と原作はやはり別物と捉えたほうが無難でしょう。
個人的には原作を先に読むことを推奨します。
映画はあくまで一解釈を膨らませたものという位置づけでしょうか。
逆に別物と割り切らないと不満が残るかもしれません。
^1カズオ・イシグロ「日本はいつも面白い話に溢れている」『文藝春秋』2025年9月号、文藝春秋、2025年