オーティスティック・ジョイとは?
自閉症者の喜びと、その表し方
何時間でも眺めていたい模様がある。同じ題材について、知りたいことをとことん追求するのがやめられない。また、お気に入りの音や手触りに、心も体も満たされる。
周りには理解されなくても、自分にとっては大きな喜びになることがあるのではないでしょうか。そんな自閉症者の喜びを表す言葉に、Autistic Joy(オーティスティック・ジョイ)という言葉があります。[1][2]
このような視点があると、自分がどんなことに喜びを見いだしているのか気がつくきっかけになったりもします。
この考え方は、1990年代に当事者のオンラインでのつながりから発展したニューロダイバーシティ運動と重なります。自閉スペクトラムを欠点に偏って捉える見方を問い直し、本人の喜びや、それを自分らしく表現することも尊重しようという考え方です。[3]
喜びの表し方は、人それぞれ
好きなことを調べていて、新しい知識に出会う。何度も聴いている曲の、一節に胸が弾む。その喜びが、手をひらひらさせたり、体を揺らしたりする動きに表れる人もいます。
こうした反復的な動きなどは「スティミング」と呼ばれ、喜びを表すほか、気持ちを落ち着ける役割もあります。[3]
静かに好きなものを眺めたり、深く集中したりして喜びを味わう人もいます。[2]このように、外から見える反応の大きさだけでは、その人の喜びは測れません。
このような自閉症者の自分なりの楽しみ方は、しばしば他人から理解を得られなかったり、奇異な目で見られたりするという問題が、いまだに残っています。
喜びと困難の併存
オーティスティック・ジョイを知る上で、喜びと生活上の困難の併存は、一考の価値があります。
喜びを大切にしつつも、つらさを否定するような前向きさには注意が必要です。
「こんなに楽しめるなら、困っていないでしょう」と受け取られれば、喜びを見せることをためらうことにもなりかねません。
反対に、苦しさを話したいときに、明るい経験ばかりを求められるのもつらいことです。
好きを好きでいられるように
社会を生きていると、何かと生産性やらタイパ・コスパに結びつけてしまいますが、好きなことは好きであるだけで貴重なことです。
「好き」を無理に仕事や勉強に結びつける必要はありません。
オーティスティック・ジョイという言葉を、誰かの気持ちを外から決めるためではなく、本人の経験を知るきっかけとして使えるとよいと思います。
出典・参考資料
- ビーレフェルト大学・ZAB 「Autistic Joy」 ↩ 本文
- NeuroDiversion 「Autistic Joy: Meaning and Examples」 ↩ 本文
- National Autistic Society 「Autism and neurodiversity」 ↩ 本文
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